山本周五郎「初蕾」 三重・伊勢市(写真で見る文学周遊)

 13歳で天涯孤独の身となり小料理茶屋で働くお民と、鳥羽藩稲垣家の港奉行の息子、梶井半之介が困難を乗り越えて結ばれる。舞台となった二見浦(ふたみがうら)を訪ねた。(11月25日付夕刊掲載「文学周遊」の取材で撮影した写真で構成しています) (14:00)

伊勢参りの禊(みそぎ)の場として知られる二見浦。夫婦岩を結ぶ注連縄(しめなわ)が月明かりを映す海に浮かび上がる

  • お民が働く小料理茶屋があった二見浦には旅館などが立ち並ぶ。古くから伊勢神宮を参拝する人たちの旅籠(はたご)町として発展してきた時代の名残を残す
  • 「海から吹きつける寒い風に曝(さら)されながら、夜おそくまで使いがありはしないかと待ち更かすこともあった」。父が亡くなり、8歳のお民は母、兄とともに二見浦の浜にある宿で働いた
  • 13歳で独りぼっちになったお民。「『どうせ泣くように生まれついたんだ』お民は客を送りだして、あと片付けに戻ったまま、小窓に倚(よ)って、自嘲するようにこう呟(つぶや)いた」
  • 客の接待に座敷に出るようになったお民は18歳のときに半之介と出会う。結ばれぬ仲と知りながら逢瀬(おうせ)を重ねた
  • 夕日に染まる五十鈴川派川。半之介は鳥羽に帰る途中、五十鈴川を渡す舟でけんかとなり果たし合いで同僚を切ってしまう。自身の身勝手さを悔い改め「おれはこれから江戸へゆく、そして人間らしい者になってくる」と言い残し、子供を身ごもったお民を置いて姿をくらました
  • 海岸に沿って旅館街を守るように生い茂るクロマツ。お民は半之介との間に生まれた子に松太郎と名付けた
  • 二見浦から二見興玉(おきたま)神社の夫婦岩を望む。困難を抱えながらもお民は周囲に励まされ、新しい人生を生きようとする
  • 「碧(あお)い海と、美しい島々が眺められる」。お民が子供を連れて、海を見に訪れた日和山(三重県鳥羽市)から鳥羽湾を望む。船頭が天候を確認するために登ったと伝えられる。鳥羽は江戸と上方を結ぶ航路の中継地であり、避難港、風待ち港として栄えた=目良友樹撮影

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