C・W・ニコル「勇魚」和歌山県太地町(写真で見る文学周遊)

 クジラに銛(もり)を打ち込む「刃刺(はざし)」の甚助は、漁でサメに襲われ片腕を失う。鯨取りとしての未来も消えたかに思われたが、彼の才能に目を付けた侍の手引きで海外に活躍の場を見いだした。(9月16日付夕刊掲載「文学周遊」の取材で撮影した写真で構成しています) (16日 14:00)

勇魚(いさな)とはクジラの古名。浜辺には尾びれのモニュメントが立つ。太地は今も昔も捕鯨の盛んな町だ

  • 漁協の施設が立つ左手奥の地区は、クジラを解体する浜だった。現在は建物内で解体が行われている
  • 沖で捕らえたクジラに銛を打つのが刃刺の役目。甚助はその筆頭の家に生まれた(太地町立くじらの博物館)
  • 巨大なクジラを仕留めるまでには何本も銛が打ち込まれる。鋭い切っ先が鈍く光る
  • 沖合で異国の捕鯨船と遭遇した甚助は、船員から友好の印としてマッコウクジラの歯の装飾品を受け取った
  • ペンキ塗りの古い家屋が多く立ち並ぶ。海外に出稼ぎに出た住民が、数年に一度故郷に戻るたびに手を加えたものだ
  • 朝5時。鯨取りたちは港に集まり、出漁の準備をする。まだ眠る町に船のエンジン音が響いた
  • 沖を通るクジラを見つけ、のろしや旗で船団を指揮した「山見台」。捕鯨に反対する人が漁船の動きをライブ中継していた
  • 夜明けとともに沖へ向かって走り出す船団。太地では小型のクジラやイルカの群れを湾へ追い込む漁が営まれている=積田檀撮影

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