今村翔吾「塞王の楯」大津市(写真で見る文学周遊)

 関ケ原の合戦の前哨戦があった大津城。城を守る石垣を築く職人集団の穴太(あのう)衆と、大筒で攻撃する国友衆の攻防が描かれる。本丸は琵琶湖に浮いているかのようだったという。(21日付夕刊掲載「文学周遊」の取材で撮影した写真で構成しています) (21日 14:00)

大津城本丸があったとされる付近から望む琵琶湖の朝焼け。夜を徹した砲撃に、本丸を守る石垣の修復が繰り返された

  • 京阪坂本比叡山口駅から西に延びる道には、大小様々な石を積み上げた「穴太衆積み石垣」が残っている。このような積み方で城を守ったのだろう
  • 三井寺観音堂上から、旧大津城方面を望む。国友衆はこの周辺から大筒で城を狙ったと伝わる
  • 京阪びわ湖浜大津駅前は城だったという。埋め立てが進み、堀と湖で囲まれた水城を思わせる風景はなくなってしまった
  • 遊覧船から望む大津港と琵琶湖岸
  • 大津港シンボル緑地にある石垣の彫刻で遊ぶ学生がいた
  • 大津城本丸があったとされる場所に設けられているペデストリアンデッキの下に広がる広場。城があった頃はこのあたりまで湖だったようだ。親子連れが楽しそうに遊んでいた=三浦秀行撮影

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